浄土真宗本願寺派 一乗山 妙蓮寺

浄土真宗のみ教え

「惟われ人」 お釈迦様のご誕生にさいして

【法蔵菩薩の物語】

4月8日はお釈迦様の降誕会です。親鸞聖人は、お釈迦様がこの世に誕生なされたのは、ただ阿弥陀様のご本願、南無阿弥陀仏のおいわれを私に説く為であったと慶ばれます。それは、お釈迦様が『仏説無量寿経』に、法蔵菩薩が阿弥陀様(南無阿弥陀仏)と成られる物語をお話し下さったからでした。

阿弥陀様が法蔵菩薩であられた時、全ての仏様の救いから漏れ落ち、永く迷いの苦海に沈む私たち一人ひとりをどうにかして救いたい、どうしたら仏様とすることができるだろうかと五劫という永きにわたって一心に「思惟」(思いをめぐらす)して下さいました。そして、「全ての命を浄土に生まれさせ仏様とすることができなければ阿弥陀仏とは成らない」と本願を誓い、永劫のあいだ修行し、ついにこれを成就して「まかせよ、必ず救う」と、今すでにご一緒下さるというお話です。

【五劫思惟】

昔のご法話を拝読すると、時折「思惟」の字を用いた「惟(おも)われ人」という表現が見られます。親鸞聖人の常の仰せは「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」であったといわれ、蓮如上人は「思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし」と示されます。また、葬儀ではご導師が『正信偈』の「五劫思惟之摂受」の一文を声高々に拝読されます。これらのことは、親鸞聖人をはじめ、多くの先輩方が、「五劫の思惟」は阿弥陀様の本格的な救いの始まりを告げる言葉として、とても大切にされ、慶んでこられたからでした。

【看護日誌】

さて、一昨年の母の日に新聞で読んだお話です。福岡県のある病院の新生児集中治療室に、独りの赤ちゃんが低体温の治療の為に運び込まれました。産まれてすぐに親から捨てられたのでしょうか、育ててくれる人は誰もなく、しばらく入院することになりました。他の新生児には親がいて、会いに来てくれる人も沢山います。かわるがわる抱っこされ、写真を撮られ、多くの笑顔に囲まれたことでしょう。

しかし、その赤ちゃんには誰一人として会いに来てくれる人も、抱いてくれる人も、優しい眼差しを向けてくれる人もいません。病院の看護師さん達はそんな赤ちゃんを見て放っておけなかったのでしょう。両腕に抱っこし、目を合わせて話しかけながら授乳をし、出来る限り沢山の愛情を注ぎました。ある担当の若い看護師さんは毎日少しずつ大きくなっていく体重や増えていくミルクの量の記録だけでなく、看護師の皆がどれだけ赤ちゃんを可愛いと思っているかを綴り、写真を撮り、手形や足形を取っては「大好きだよ」というメッセージを添えて日記に残しました。

【愛された証(あかし)】

そして、赤ちゃんが乳児院に引き取られて5年後のことでした。笑顔の愛らしい少女と母親が病院を訪れました。5歳になったあの赤ちゃんです。特別養子縁組で母親になった女性は、物心がついた娘に事実を伝え、産まれてすぐに入院した病院でとても可愛がられていたことを、看護師さんの日記を見せながら話して聞かせたといいます。そして、母親は看護師さんに「愛されていたことの証しとなる日記を作って下さって有難うございます」と御礼を言われたのでした。

ここで、お母さんはなぜ日記を見せながら事実を話されたのでしょうか。それは受け止め難い事実に押しつぶされてしまうかもしれない娘の心を思いやってのことに違いありません。

【お前の親となる】

今、全ての仏様のお救いから漏れ落ちた私は、永く孤独の命を重ねてきました。たった独りで生まれては死ぬことを繰り返し、誰にもこの悲しみや寂しさを知ってもらえずに、冷たくなった心と体を震わせて泣いてきたのでした。その抗えない現実に、身の事実を受け止めることもできずにいたのです。

ところが、その私を放ってはおけないと、たったお一方、慈愛に満ちた優しい眼差しで一人子のように抱いて下さり、「お前の親となる」と名告って下さった仏様がありました。それが阿弥陀様です。そして、私が願うより気がつくより先に、ずっとご一緒下さって、全ての願いと功徳のありだけを南無阿弥陀仏と仕上げ、まるで母乳のように与えては「まかせよ、必ず救う」と喚び続けて下さいました。

【お釈迦さまご誕生の理由】

実は、このことを私たちに話して聞かせる為にこの世に出られた仏様がお釈迦様だったのです。お釈迦様が『仏説無量寿経』にお説き下さった法蔵菩薩が南無阿弥陀仏と成られた物語は、そのまま私の命とは何かを告げてあったのでした。いわば、私たちが今も昔も阿弥陀様からどれほど思い、願われ、愛し、育まれ続けている命であるかの記録であり、証しでもあったのです。

そうすると、お経を拝読し、お念仏するところにはもう孤独はありません。冷たく暗い命を繰り返す不安も絶望もありません。受け止め難く、思い通りにならない様々な現実は変わらずとも、阿弥陀様の「惟われ人」としての日暮しです。生まれてきて良かったですね。ご本願、南無阿弥陀仏のおいわれを聞くことができました。

 

<本願寺出版社『大乗』「Daizyo法話」2021(令和3)年4月号 掲載>

浄土真宗本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする本願寺派