浄土真宗本願寺派 一乗山 妙蓮寺

浄土真宗のみ教え

「母の決め台詞」 一々の誓願は衆生の為

私は京都の一般の家庭に生まれ育ちましたが、今から8年前、結婚を機縁に妻の実家である大分のお寺に入らせて頂きました。ですから、初めに好きだったのは阿弥陀さまではなく妻でした。今では多くの方のお育てによりお念仏申す身となりましたが、そこに尊くお聞かせ頂くことは「阿弥陀さまは好きになったら(・・)、お念仏したら(・・)救ってあげるという仏さまじゃないよ」そして「阿弥陀さまは私が好きになる前から、お念仏申す前から、私の命に懸かりっきりの仏さまなんだよ」ということです。

 

その阿弥陀さまとの出遇いの中で、忘れていた昔のことを思い出しました。私の両親は共働きで、朝から晩まで仕事と家事に追われながら兄弟二人を一生懸命に育ててくれました。ところが「親の心子知らず」で、私は両親の言うことを聞かない子どもでした。特に母は口うるさく、何度も何度も細かなことを注意してくることが嫌いでした。そしてもっと嫌いだったことは注意した後で必ず「あんたのために言ってるんでしょ」の決め台詞です。この「あんたのため」がとても煩わしかった私は、中学生だったある日、思わず「何度も何度もうるさいなぁ。誰が産んでくれって頼んだんや」と母親に対して決して言ってはならないことを言ってしまったのです。ところが、次の日からも母は朝から晩まで働いて、私を高校、大学と出させてくれました。

そして、社会人になって数年がたったある日。私は妻と出遇い「この人と結婚したい。その為には大分のお寺に入って僧侶となる」と両親に告げました。この時、母は非常に戸惑ったと思います。私は長男でしたから、私を産み、苦労して育てるなかでいつか長男の家族と一緒に暮らし、年老いていくことを夢みることもあったのでしょう。母からはしばらく返事がありませんでした。そして数週間がたったある日、ついに返事をくれたのです。それは「あんたの人生なんやから、好きにしたらええよ」と静かで優しい返事でした。

今になって気づかされます。その返事は中学生の頃、私があんなに嫌いだった「あんたのため」という母の決め台詞そのものでした。最後まで全く両親の思い通りにならない私でしたが、この命は初めから最後まで両親の「あんたのため」で貫かれてあったのです。

 

親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を「如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり」とお示し下さいました。「すでに」とは「私の思いより先に」という意味です。阿弥陀さまは初めから、お念仏しない時の私も、お念仏する時の私も、同じ力で仏にするための全ての功徳を与えようと願い、はたらき通して下さる仏さまでした。その願いに私は遠い昔から「何度も何度もうるさいなぁ」「誰が救ってくれって頼んだんや」と背き続けてきたのです。しかし、その思い通りにならない時も阿弥陀さまは「あんたのため、あんたのため」と決して見捨てることなくお育て下さったのでした。

そんな私を救うことに一生懸命な阿弥陀さまのお慈悲に出遇い、先の母に決して言ってはならなかったことを思い出したのです。そこで、私の誕生日でしたが自ら母に電話して「産んでくれてありがとう」と言う計画をたてました。ところが、失敗です。当日の朝、携帯電話が鳴り母の方から先に「誕生日おめでとう」と言われてしまいました。母の「あんたのため」の決め台詞は昔の話ではなかったのです。親の願いはいつでも子の思いに先がけて、今も昔も変わらずに、私目当てに届けられてありました。

今、身にかけて気づかされます。阿弥陀さまの親心は子である私の思いに先がけて、初めから今ここに「南無阿弥陀仏」と入り満ちて下さいます。「あんたのため、あんたのため」と私のありったけを懐きとり、嬉しい時も悲しい時も常にご一緒下さって「あなたを救う仏はもうここにいるよ」とお念仏となって一生懸命にはたらき続けて下さいます。

 

<本願寺新報 「みんなの法話」2009年掲載>

浄土真宗本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする本願寺派