浄土真宗本願寺派 一乗山 妙蓮寺

お知らせ

2021.12.11

今日も梵鐘の響きから始まりました。

動画をアップするには、画質を落とすしかありませんでしたが、音はちゃんと聞こえます。

もちろん、実際にこの場にいて聞く音色とは大きく異なりますので、ご門徒の皆さん、ぜひお晨朝のご縁に遇われてください。(※画面もしくは画面の▷印をクリック)

一日の始まりが、とても穏やかです。

本日は土曜日で学校が休みでしたので、子ども達もお参りしてくれました。

朝がゆをみんなで頂きました。

今日の朝のお勤めは正信偈行譜の後、『仏説無量寿経』四十八願を拝読しました。

法話は前住職が担当。九条武子様や甲斐和里子様の歌を紹介しながらの法話でありました。

今日の御斎も、昨日お作りくださったご門徒さんがお作りくださいました。

昨日とはメニューが異なり、頭が下がります。

御汁も蜜柑もご門徒さんがご用意くださり、本当に有難うございました。

皆さんと一緒に、どれも大変美味しく頂きました。

昼座はお勤めのあと、親鸞聖人のご一生が著された『御伝鈔』を拝読します。

本日は上段の第五段と第六段。

いつも本堂外陣(お参りの方が座られる場所)の明かりを全部落として拝読していますが、今回は拝読箇所の原文、解説をコピーした資料をご覧頂きながら拝聴頂きました。

【選択本願】

昼座は、昨日の続きで親鸞聖人のお坊様に成られてから比叡山時代のお話を・・・と思っていましたが、本日拝読の『御伝鈔』のところをと希望があり、「選択付属」の一段をお話致しました。

「選択付属」とは、法然聖人の著書、『選択本願念仏集』の書写を親鸞聖人が許され、それを自分の本として持つことを許されたことをいいます。

選択本願とは、阿弥陀様が法蔵菩薩の時に、私たちを救う為に選び取られたお念仏のお救いは、阿弥陀様の本願に裏打ちされた唯一絶対のお救いであることを表します。

また、何か一つを選び取るということは、同時に他の全てを選び捨てたということです。

つまり、阿弥陀様は私たちを救う為にお念仏のお救い一つを選び取られたということは、その他の行は選び捨てられたということになるのです。

たまに、なぜ浄土真宗は『般若心経』など他のお経を読まれないのですか? 滝に打たれるなどの厳しい修行は無いのですか?・・・・などと聞かれることがありますが、どれほど素晴らしい教えでも、難しい修行でも、私には一つとして間に合わないと阿弥陀様の方がはじめに選び捨てられたことであったからでもあるのです。

また、 なぜ「南無阿弥陀仏」とわずか六字で浄土に生まれ仏と成ると言えるのですか? と聞かれることもありますが、それも阿弥陀様が私たちひとり一人を本当に仏様とする為に選び取り、仕上げて与えてくださったお救いであったからなのです。

私たちが嬉しいにつけ、悲しいにつけ頂いている「なんまんだぶ」とは、阿弥陀様が私たちに誂えてくださったこの上なき願いと功徳のありだけであったのです。

初めから私たちの為に仕上がった願いと力が「南無阿弥陀仏」でありました。

そうすると、今、私たちが称えては耳にする「なんまんだぶ」の声を、その姿を、阿弥陀様は誰よりも何よりも喜んで下さってあるのですね。

まるで母乳を我が子に与えては喜ぶ母親のように、「よく聞いてくれたね」「よく称えてくれたね」「本当に良かった」と。

今日もようこそのお参りでありました。

同じお念仏のお話を頂いて(聞いて、称えて)帰られるご門徒の後ろ姿を眺め見ては、性別も年齢も異なれども、皆同じ阿弥陀様、親様に抱かれている兄弟道が浄土真宗であることを思います。

身をすてておのおのと同座するをば平座ひらざにてみなと同座するは)、聖人(親鸞聖人)の仰せにも、四海(全世界)の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば、われもその御ことばのごとくなり。 『蓮如上人御一代記聞書』

明日も皆様のお参りをお待ちしております。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする本願寺派