浄土真宗本願寺派 一乗山 妙蓮寺

お知らせ

2021.11.13

お勤め『重誓偈』、会長挨拶に続いて、今回は今年度3回目となる聖典勉強会でした。

テーマは『南無阿弥陀仏』

前2回は『阿弥陀如来』でしたので、同じく浄土真宗のご本尊についての学びです。

浄土真宗のご本尊は『教章』に阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)と示されています。

阿弥陀如来は分かりますが、なぜ南無阿弥陀仏と「南無」の二文字がついてご本尊なのでしょうか。

「南無」(なも)とはインド語「ナマス」の音写語で、本来は「信順する」「おまかせする」という意味です。

しかし、迷っている自覚もなく、自ら阿弥陀様に背を向ける者に「まかせる」心は起こりません。

阿弥陀様はそれでは救いに間に合わないと、ご自身の名告りに「南無」をつけて「まかせよ」と喚び続けて下さったのでした。

つまり、浄土真宗のご本尊は、「南無阿弥陀仏」と私たちにはたらいているお姿をもって「ご本尊」とするのです。


「我にまかせよ」の「我」とは阿弥陀様のことで、寿命と光明が量り知れない仏様というお名前です。

それは、阿弥陀様が法蔵菩薩であった時、寿命が無量の仏となってまで「いつでも」、光明が無量の仏となってまで「どこでも」、私のところに至り届いて、必ず救える仏になろうとのお誓いを成就されてのことでした。

いつでも、どこでもとは主体的に言えば、今、ここ、私のところです。

阿弥陀様に背を向けて逃げていた時も、日々の生活に追われて阿弥陀様のことを忘れている時も、嬉しさに心躍る時も、悲しみに打ちひしがれて涙する時も、今も昔もこれからもずっと阿弥陀様は私とご一緒下さる仏様であることをご自身の名告りとして下さったのでした。


こうして、私がいついかなる時も決して変わらないお心で「南無阿弥陀仏」「我にまかせよ、必ず救う」と飽きもせず、疲れも知らずお育て下さる仏様を「親様」とお譬えするのです。

親とは子を産んだというだけではありません。「お母さんだよ」「お父さんだよ」と言うように「まかせよ、お前の親であるぞ」と先手に名告って下さった方が親でありました。     

私たちのご本尊は私たちに常にご一緒くださり、はたらき続けておられるのです。

次回のテーマは、会員さんの意見から『蓮如上人と御文章』(仮)と致します。

住職として、ご門徒と理解を深め、それを共有できることはとても仕合せです。

         


われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 弥陀(親)のよび声 (原口針水和上・1808年~1893年)



【原口針水】

幕末・明治前期の浄土真宗の僧。肥後(熊本県)山鹿郡内田村光照寺に生まれる。筑前(福岡)万行寺の曇竜について真宗学を学んだ。文久2(1862)年、長崎へ赴き宣教師よりキリスト教を学ぶ。明治17(1884)年、西本願寺第22世大谷光瑞(門主)の真宗学指南となる。同24年、西本願寺の大学林(現在の龍谷大学)の規則変革に伴い、学林総理事務取扱に就任する。仏教に限らない幅広い知識をもとに、神道をはじめ仏教諸宗の学者と論争して真宗学の高揚に励んだ。(コトバンクより)



み仏を よぶわが声は み仏の われをよびます み声なりけり (甲斐和里子師『草かご』・1868年~1962年)



【甲斐和里子】京都女子大学の創設者の一人

明1.6.15~昭37.11.27

西本願寺の要職にあった足利義山(和上)の五女として、広島勝願寺に生まれる。明治19年(1886)から3年間広島私立開成舎で学び、明治26年(1893)に京都同志社女学校英語専科に入学。以後、3年間にわたって在学した。明治32年(1899)には松田甚左衛門とともに、仏教精神に基づく教育を目的とした顕道女学院を創設した。翌明治33年(1900)には、その志と理念を貫くため顕道女学院を退き、夫・甲斐駒蔵とともに文中女学校を経営。明治43年(1910)に私立京都高等女学校の経営が西本願寺へ移されたことに伴い、その後は、本校教諭として昭和2年(1927)春まで勤務した。大正13年(1924)12月5日の貞明皇后行啓の際、本学園は皇后から「心の学校」という御言葉を賜ったが、その時、女子教育に情熱を傾けた和里子に対し、皇后は「よくやってくれた」というねぎらいの言葉をかけておられる。(京都女子大学HPより)

※夫の甲斐駒蔵は大分県臼杵市の出身で、画家。その縁で、妙蓮寺のある坂ノ市地区に住まれていたことがあるとご門徒からお聞きしました。

勉強会の後は、来月の本坊御正忌報恩講法要について話し合われました。

仏華に使う松、檜葉、葉欄を入手先をどうするのかを協議し、

仏具のお磨きは、予定の12月8日だけでは間に合わないとして、前日の7日の13時~仏壮有志数名で花瓶(かひん)だけでも磨くことになりました。

その際、時間と力をいれてピカピカにしようという意見が出され、大変有難いことでした。

また、懸案であった仏旗(のぼり旗)を新調することが話し合われました。

そして、昨年は中止した仏壮新年会は、 来年1月20日(木)に予定し、 感染状況次第では中止することになりました。

先ずは、来月7日、8日(午前8:00~)の報恩講準備のご加勢、16日ご満座後の片付けと、お世話になります。

皆さんと一緒に準備をするなかで、浄土真宗最も大切の法要を迎えられることは、とても楽しみで、有難いことです。

【関連法話】

蛙鳴蝉噪?~お念仏の意味~

親のよび声「なもあみだぶつ」のお心

「名告り」おんせん県おおいた♨と阿弥陀さま

親の名告り」変わらない親心

「証拠」~嘉風の花火~

声の仏様

浄土真宗本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする本願寺派